出来ないから役が来る

京都市東で広報リーダーを務める、清水です。

京都市東からの初回投稿は2022年9月に京都市東のモーニングセミナーにてスピーチした、今期の決意表明に関することを書いていきたいと思います。

 

決意表明スピーチをする前日に当日話す内容を見直しました。その時に以前のモーニングで講話して頂いた、大東市の有田さんの講話を思い出しました。

それは「出来ないから役が来る」というお話です。

 

直前でスピーチ内容を読み返していると、その言葉が急に心の中で引っかかり始めて、

気づけばほぼ出来上がっていた内容を直前で全て消して話を最初から考え直しました。

 

 

 

出来ないから役が来る

9月14日の京都市東のモーニングセミナーにて、

有田千三代さんという大阪の大東市の会長をされていた方に京都市東のMSで講話して頂きました。

 

その中で有田さんは「役は出来ないから来る」という話をされました。

原稿を見返すタイミングで心の中で引っかかり始めていたものの、その話を聞いた時その言葉は僕にとって他人事でした。

 

今思い返すと、僕は広報を単なる業務として捉えていたんだなと思います。

 

だから単会での広報という役が回ってきた時も、これまでのビジネス経験があれば「簡単な業務ばかりだから余裕で回せるだろう」と思ったのが正直なところです。

有田さんの話を聞いた時点の自分の心は、そんな考えの状態だったので響きませんでした。

 

 

 

なぜ「業務」ではなく「役」なのか

講和を聞いたその時は響かなかったけれども、「出来ないから役が来る」という言葉自体は不思議と僕の中に残っていました。

そして、スピーチの前日に「出来ないから役が来る」という言葉を思い出しました。

 

なんでこのタイミングで思い出しているんだろう?

 

何故かはわからないけれども、確実に何か心の中に引っかかりを感じて、改めて自分と向き合い始めようと思いました。

自分と向き合い始めてから、

  • そもそもなぜ、業務を受けると言わずに役を受けるというのか。
  • 役という言葉に理由があるのか

などの「役」という意図に向けて考え始めていました。

 

何か捉え方を間違えているかもしれない。

 

自分に対する質問を少し変えてみて、「一般的な広報業務ではなくて、倫理の京都市東の広報リーダーという役はできるのか!?」って自問自答してみました。

 

こうやって質問の仕方を変えると、業務から単会の中での役割というものに目線が変わって来た気がします。

 

その聞き方に変えると、広報リーダーが務まるどうか、これまでの余裕という考えから逆に今のままやったら出来ないかもと考えるようになりました。

 

 

 

明朗・愛和・喜働

少しだけ話変わります。

 

広報業務ができるかどうかの自問自答をしている時に、倫理法人会で大事にしている3つの言葉を思い出しました。

  • 明朗
  • 愛和
  • 喜働

この3つの言葉です。

 

それぞれできているか自分の中で確認しました。

 

明朗

これはとても得意とだは思いませんが、まあ大丈夫。

 

喜働

これは非常にとても得意。僕は自分の会社やサービスをとても誇りに思っているし、それを応援してくれる人たちに感謝もあり、常に充実した気持ちで仕事ができています。

だからこれも大丈夫。

 

そして、あと1つ。

 

愛和

今回の実践はこれだな。

3つの言葉に対して自分ができているかどうかの確認をし始めた時点で、おそらく自分自身でこの結論に導くようにしていたのかなと思いました。

 

全く愛情ない訳ではありませんが、関わる人によって愛情が存在する時と消滅している時があると思います。それくらい不安定で弱いです。

 

 

 

役を受ける意味

さっきほどの「東の広報リーダーできるのか?」という自問自答に戻ります。

 

僕には愛和が欠けていると自分で感じてから出来るかどうか怪しい気持ちになりました。

 

当初考えていたスピーチ原稿は、「どんなことをしたいか」、「どうやってそれを実現しようとするか」という内容で、

倫理の話をしてますが、考え方に関してはビジネスの視点で持ってきた話を考えていました。

その文脈(ビジネス)で考えると、きっと僕は広報業務できる。

 

だから、何で役が回ってきたんだろうと感じてました。

 

それが自問自答の結果自分に足りてない部分があり、

そしてその足りていないものが倫理において重要な3つの要素だとわかった時は本当に広報リーダーできるのかなって思い直しました。

 

例えば、

これから僕がやろうと考えたことに反対する人がいたとします。

その人を無視して賛同する人だけで回したら、業務自体は回ると思います。

そして表面的には滞りなくやってる感じが出るかもしれない。

その結果、今期が終わるころに一応役を完了できたなと思うかもしれない。

 

でも、それが何になるんだろう。

 

出来ることを仕事よりも少ない時間とエネルギーで回したところで、意味があるのか。

そんな意味ないことをやるために役が回って来ているのか。

僕が広報リーダーやる必要性はどこにあるんだろう。

 

そう考えると、きっと広報業務が回るかどうかということが本質的に見るべきことじゃないということに気づきました。

 

当初、不遜な考え方になりますが「手伝ってあげる」くらいに考えていました。

でもきっと業務が出来るかどうか大事だけど本質じゃない。

 

役が回って来たことの本質はきっと、「僕が広報リーダーという仕事を通して人に愛情を持って何かを継続してできるようになったかどうか」

それが広報委員リーダーという形で実践の機会が来たのということだろうと考えています。

 

「仕組みのアップデートやパフォーマンスを上げることに力を貸してみるか」という何様なのかと言いたくなるようなスタンスだったところから一転して、

捉え方が変わると

「自分の成長の為にみんなを巻き込んで機会を頂いている」という考え方に変わりました。

 

僕は愛和、愛情を持って人と価値あるものを生み出すという実践を広報リーダーを通してやるべきなのかなって今は捉えています。

 

それがきっと、仕事での組織のあり方にも繋がっていくと思うので、誰も見捨てない愛情を持った関わりを来ているお役を通してできるようにしていきたいなと思います。